定年退職という人生の大きな節目を迎え、ようやく手に入れた自由な時間。
しかし、いざ毎日を自宅で過ごしてみると、皮肉なことに心は休まるどころか、日増しに削り取られていきました。その最大の原因は、避けては通れない「地域社会」という名の狭い世界での近所付き合いでした。
定年退職後の「何者でもない時間」と、近所付き合いのストレス
退職直後の私は、まだ前向きでした。地域の一員として穏やかに交流を楽しもうと、自分なりに努力を始めたのです。
まずは、健康維持を兼ねた「朝の散歩」。それが、あんなにも惨めな思いをする引き金になるとは思いもしませんでした。外に出れば「あそこのご主人、辞めてから毎日暇そうね」という無言の視線にさらされ、一度捕まれば最後、興味のない家庭の事情や延々と続く病気自慢を聞かされる。断りきれずに立ち話に付き合い、気づけば一時間。足は疲れ、心はすり減り、家に戻る頃にはぐったりと横になる毎日でした。
次に足を運んだのは、近くの公民館のサークルでした。しかし、そこには、すでに強固な人間関係が出来上がった「ムラ社会」が待ち受けていました。新参者の私に向けられる値踏みするような目、そして「お仕事は何をされていたの?」という、避けては通れない過去への土足の踏み込み。結局、三回通って私は挫折しました。
良かれと思った交流が、すべて裏目に出てしまい、「定年退職後の自分には、もうどこにも居場所なんてないんだ」と暗いリビングで一人、言いようのない孤独感に苛まれていました。
独学で挫折したギターの過去。定年後の今だからこそ挑む理由
そんな絶望の淵にいた私が、押し入れの奥で見つけたのが、学生時代に独学で挑戦して、挫折した古いギターでした。当時は教則本を読んでも指が動かず、結局放り出した苦い記憶。けれど、今の私には、時間はたっぷりある。
「今度こそ、この閉塞感を音楽でぶち壊したい」
そう思い立ち、たまたまネットで見つけた「ギターのオンラインレッスン」に、震える指で申し込んだのです。自宅から参加できるオンラインなら、近所の誰にも知られずに、こっそり特訓できる。その「隠れ家」のような安心感が、私の一歩を後押ししてくれました。
オンラインギターレッスンが、私に「最高の居場所」をくれた
劇的に変わったのは、そこからの毎日でした。
画面越しに講師の方と繋がる時間は、近所の噂話や過去の肩書きとは無縁の、純粋に音楽と向き合う時間でした。「元・○○部長」という過去ではなく、一人の「ギター初心者」として扱われる解放感。マンツーマンで私の拙い指運びを導いてくれる講師の言葉が、公民館で感じた窒息しそうな同調圧力から私を救い出してくれました。
かつて挫折したはずのコードが、綺麗に鳴った瞬間、私の中で何かが弾けました。練習に没頭している間は、近所の視線も、将来への焦りも、すべて忘れることができたのです。現役時代とは違う「自分の手で何かを成し遂げる誇り」を取り戻していくにつれ、不思議なことに、外の世界に対する「構え」が消えていきました。
ギターの音色が変えた日常。近所の視線が気にならなくなった
今、私の部屋のカーテンは開いています。
窓から漏れるギターの音色が、たとえ近所に聞こえたとしても、「私は今、新しい挑戦をしている」という確かな自負があるから、もう何も怖くありません。オンラインの繋がりが、私の盾となり、同時に新しい自己表現の窓となって、外の世界への心の余裕まで取り戻させてくれました。
定年退職後に孤独を感じ、近所付き合いに疲れ果てている人にこそ、この「新しい窓」を開けてみてほしい。かつて諦めた何かが、今のあなたを救い、人生の第二幕を鮮やかに彩る最強のパートナーになるはずだから。
